英米文学の優位について
むかし『ドゥルーズの思想』の「英米文学の優位について」あたりを読んだときは、概念として頭では理解できても、でも英米文学ってそんなに好きじゃないんだよなあ、と思ったのだが、フィッツジェラルドの崩壊の感覚とか、ミラーのアナーキーな感覚とか、ケルアックの放浪する感覚とか、そうした感覚を書きつらねることの力ってのに、頭ではなく身体が求めるようになってきたように思う。でも、ドゥルーズのアメリカはフランスからみたアメリカなんだよな。フーコーもしかり。
仲俣暁夫の『極西文学論』を読んだ誰かの感想に、地図というよりは地図作成的、というのがあったのだが、おやまあ懐かし、それってドゥルーズ=ガタリだよなあ、と思いつつ、でもいまさら『リゾーム』あたりを読んでみたらと勧める気はしない。たぶんいま読んでも昔ほど面白くないだろうな。