「究極の会議」を立ち読み

三鷹産業プラザのネットカフェでpivot-incのT崎と打ち合わせ。
駅前通りは祭りの神輿でひとだかり。
帰りに啓文堂で「究極の会議」を立ち読み。
わたしも会議は嫌い。管理職的になると、出席すべき会議が増える。そうなると自分が偉くなったかのような錯覚をおぼえる。会議には、相手の表情とか顔色とか、そのあたりの雰囲気や空気がある。そのときどきの参加者の力関係とか読み取れる。誰がキーマンで、誰と誰は仲がいい、誰と誰は仲が悪い、とか、そういう人間関係が場の空気に反映される。
たぶん会議と共同作業の境界があいまいなんだろう。議事録ドリブンという発想は共同作業的であって、誰が何をいつまでにどうするという決定を集団で進めるには良い方法論でありツールなんだろう。
プロジェクタがあるのとないのとでは、これはたしかに大きく違う。プロジェクタで映された画面を見ながら、(議事録にかぎらず)テキストをまとめていく作業は、共同作業的、いわゆるcomputer supported cooperative workであって、会議的ではない。

究極の会議