東京の路線の歴史
80年代にガタリが来日したとき、東京の地下鉄の路線図をみて、これはリゾームだ、てなことを言ったらしいのだが、中央線の電車にのってて、ぼーっと路線図を眺めながら、いまのネットワークに至るまでの歴史ってどうなっているのだろうと疑問がわいた。
丸い緑の山手線、真ん中通るは中央線、というのが、まあ原型としてあるのかな、と思ったのだが、山手線と中央線はどっちが歴史が古いのか、とか、JR以前の国鉄はそもそもいつ設立されたのか、とか、知らないことがたくさんあるわけだ。
まずは毎日利用している中央線の歴史から調べるか、そもそもの中央線のコンセプトって、新宿と立川をつなぐことだったのかな、などと考えながら、いろいろ検索かけたら、Wikiipediaで情報が簡潔にまとめてあった。
中央線の原型ということでいえば、新宿〜立川間が開業というのがはじまりらしい。当時は国鉄というのはまだ存在してなくて、甲武鉄道という私鉄が建設した。民営化された国鉄の一部は、もともと私鉄だったというわけだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%9C%AC%E7%B7%9A
1889年4月11日 甲武鉄道新宿〜立川間開業
1889年8月11日 立川〜八王子間延伸開業
1894年10月9日 牛込〜新宿間延伸開業
1895年4月3日 飯田町〜牛込間延伸開業
1904年8月21日 飯田町〜中野間電化(直流600V)
1904年12月31日 御茶ノ水〜飯田町間延伸開業(電化)
立川から西に延長する方が新宿から東に延長するよりも着手しやすかったということなのだろう。牛込といえば「牛込局区内フジテレビ」というのが頭に刷り込まれている昭和世代なのだが、牛込駅ってどこにあったのか?
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Tokyo/Tunnel/Tky021021.htm
これによると、いまの市ヶ谷と飯田橋の間あたりということだ。この「御所トンネル」の解説が面白い。なるほど、牛込までの路線が許可された背景には日清戦争があったわけだ。また甲武鉄道と日本鉄道(いまの山手線の原型をつくった私鉄)の競争というのもあったのだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E7%B7%9A
1885年3月1日 日本鉄道(品川線)赤羽〜品川間開業
1903年4月1日 日本鉄道(豊島線)池袋〜田端間開業
1906年11月1日 日本鉄道国有化
1909年10月12日 国有鉄道線路名称制定。山手線(やまのてせん)[東北線の部]赤羽〜品川間、池袋〜田端間、大崎〜大井間(貨物線)
1909年12月16日 烏森(現在の新橋)〜品川間電化。烏森〜品川〜新宿〜上野、池袋〜赤羽間に電車運転開始
1910年6月25日 烏森〜有楽町間開業
1910年9月15日 有楽町〜呉服橋仮駅間開業
1914年12月20日 東京駅開業。
1919年3月1日 中央線と接続し中野〜東京〜品川〜池袋〜上野間で「『の』の字運転」開始
1925年11月1日 神田〜上野間開通。山手線の環状運転開始
歴史的には、東京駅ができて、中央線と山手線が接続して、それから山手線が環状線として完成する、という順序ということになる。
山手線には内回りと外回りがあって、その区別の根拠もずっと不明だったのだが、これによると、新宿が起点で時計回りに池袋方面に向かう線路が外側にあるから外回りで、一方、新宿が起点で反時計回りに渋谷方面に向かう線路が内側にあるから内回り、ということだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%89%84%E9%81%93
日本鉄道は、1881年8月1日に創立された日本初の私鉄である。
いまの山手線・中央線を形成したのは、日本鉄道に代表される北への/からのベクトルが東京を囲む流れ、そして、甲武鉄道に代表される西への/からのベクトルが東京を横断する流れ、この二つの大きな流れが基調をなしていたわけだが、この二つの流れの差異は、おそらくは沿線文化にも大きく影響を及ぼしてきたのだろう。